2016年04月16日

被災地でできる子供の心のケア

被災地でできる子供の心のケア
※2011年3月の私のブログより引用。

リンク先のブログ記事があります。
そこでは被災地にボランティアへ行く方にご一読していただきたいブログのPDFへのリンクがありましたが、リンク切れしているので、改めてリンクを。

こちらが同じ内容のものです。
心理的応急処置(PFA)


(引用ここから)

被災地でできる子供の心のケア


東京学芸大学教授 臨床心理士の小林正幸さんより
掲載の許可は取っています。

子供を中心に書いてありますが、大人の方にも有効に働くと思います。
被災地にいないお子さんも、心のケアは必要になっています。

以前にあげたボランティア専用の心理的支援に比べれば難しいことは書いてありませんので、是非お読みください。

第1回 身体面からのこころのケア
http://hiiragi1978.seesaa.net/article/192691026.html

第2回 辛さを受け止める(1)
http://hiiragi1978.seesaa.net/article/192935967.html


第3回 辛さを受け止める(2)

子どもの傍らにいる大人が、自分の不快感、辛さを受け止めるだけの度量があると判断したとき、お子さんの方が自ら自然に不快感を表現するようになると述べました。

ですが、今、多くの子どもはじっと我慢をしていても、その我慢を超える辛さを表現するお子さんもいます。

この時期に示す表現は、恐怖、不安と、悲しみが多いと思いますが、怒りを表現するお子さんもいるかも知れません。
それが表現されたときに、その恐さ、不安、悲しみ、怒りを受け取ったことを、大人の側が表現してください。言葉で言えば、「恐かったんだ」「嫌なんだ」「悲しいんだ」「悔しいんだ」「淋しいね」「辛いね」「腹が立っちゃうよね」という言葉です。

そして、余裕があれば、「○○なので、嫌なんだ」「○○してほしいのに、してもらえないのが悔しいんだ」というように、お子さんがそのように表現する理由を、見当を付けて述べるようにします。

以上が原則ですが、親御さんにしても、周囲の大人にしても、余裕を持ってこれらはしきれないことも多いと思います。

この時期に大きな揺れを示すお子さんは、心配で心配でたまらないのだろうと思います。
ただ、それをどのように言葉にしても、心配だと語ることも、何を心配しているのかを言葉にするだけで、押しつぶされるような不安が生じてしまうと思います。

ですので、子どもは、最大の心配までは、なかなか口に出せませんし、当方にそれを受ける度量がないと思うときには、お子さんがそのように表現する理由にまで触れないことが大事なことになります。


それでも、万一、その理由をお子さんの方が口に出されたとしたら、「きっと大丈夫だよ」と抱きしめるしかないのだと思うのですが、物理的に抱きしめることができないときには、包み込むような言葉を言葉を選びながら、ゆったりと語るようにしてください。
このときに、先に泣いてはいけませんが、お子さんの辛さを受け取ってもらい泣きをするのは構いません。
相手の辛さが伝わってきたときに、「心配なんだよねー」と無理なく言えるときには、自然に涙が出て来るだろうと思います。
涙をどうするのか・・・などと考える必要はないと思います。
その辛さをしみじみと感じ、分かち合うようになさってください。

辛さは、誰かにつつまれて、感じきることで、時間の経過に伴って低下していきます。
お子さん自身のこころの揺れが収まるのを、そこでじっと待つようになさってください。
この時間を短くしようとして、気分を変えるように促すのではなく、その気分が消えるまでゆったりと関わることが原則になります。



余談
だからというのもなんなんですが、この時期、テレビが発するエンターテインメントは、歌やストーリー性のあるもの(ドラマ・アニメ・特撮)、お笑い(バラエティではなく)であるべきだと感じます。

一方的な発信には変わりがないんですが、共感し、考えることができる、もしくは考えなくていいもの、ということになるでしょうか。

フリートーク系のバラエティは、捉えどころがなく、時として不用意なことも発信されますので、作り上げられたもの、を発信することが安心感につながるように感じます。

また、過度に震災を意識することなく、発信することが健全性を保つと考えます。

あくまで私見ですが。

(引用ここまで)

喫茶柊/柊PROJECT(ひいらぎぷろじぇくと)
渡辺英輔
東京都大田区下丸子1-14-13
03-3759-5408
090-6023-9171
hiiragiproject@gmail.com

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2016年04月10日

それがあってもお金持ちになっていない事実

多くの人の勘違いに、それができたらすごい、それを持っていたら稼げる、というのがあります。
最近起きた大手コンビニチェーンのお家騒動を「権威も収入もある人たちがみっともない」と思うか「どんなに大きな企業になってもビジネスは人なんだな」と思うかによって、批判だけで終わるか学びを得られるかが分岐するように、物事を見る視点ひとつでプロセスを正しく行なえるか間違うかが変わります。

物事を見る基準を「自分の現実」にするか「事実」にするかだけでも、世の中からあなたが受ける恩恵は何億倍も違うことを私は確信しています。

そんなことをいう喫茶店のマスターは世の中にそうはいないだろうと思われますが…

どうも、喫茶柊のマスター、えいすけです。
その他の略歴は来店して知ってください。(略歴については気分がよければ教えます。私は気まぐれです)

さて本題。

先日、かなり以前にサポートしていた子が、活動の幅を広げていて、言語圏が3つになるよ、という話しをお客さんとしていたら
「10代で世界で活躍していてうらやましい」
という反応でした。

そして、彼女は、活動していくだけで、英語、中国語系、日本語を話せるようになると思われるので、そういう面でも、多くの日本人にはうらやましいと思われるんじゃないでしょうか。

しかし、私が海外でもお仕事をしている人たちに会ったり、プロジェクトで一緒に働いたりして思うのは、何カ国に行ったことがあっても、何ヶ国語話せても、良い暮らし、継続的なビジネスが出来ていない人が多いということです。

同じようにMBAを取得していたり、大手コンサル会社出身だったりしても、この業界では年に数万円も稼げていない人が圧倒的多数なわけです。
数十万円じゃないですよ。数万円も、です。
※事実。何年間も赤字の人も多いです。

さらに、高学歴で弁護士や司法書士といったかなり難易度の高い資格持ちでもコンビニでバイトしている30〜50代はごろごろいるわけです。

つまり、イメージ的には凄そうなのですが、実際のところは、何ヶ国語も話せても、どんな履歴、資格があっても、そのスキルを活用できる場面がほとんどないのです。
頑張れば誰でもできることは、市場にスキマがないですし、スキルを活かせる人としての土台がなければずっとビジネスにはならないわけです。ずっと、です。

複数言語話せたところで、それだけではお金のない人に翻訳や通訳としてタダ同然でこきつかわれるか、接客業のバイトで運がよければ50〜100円高い時給にしてもらえる程度です。

学歴や資格が活かせるのは就職転職の基準として応募するときに有利なくらいで、面接でオオハズシすればそこで終わりですし、準大手以下に就職した場合、バリバリ仕事のできる高卒や無資格の社員などに、学歴や資格のせいでいじめのネタにされたりするわけです。
※就職先選びは、こういうポイントも重要ですよ

今やアジアには、日本人の数倍、現地語と英語と中国語を話せる人がたくさんいますし、ヨーロッパや南北アメリカには、現地語と英語とスペイン語(フランス語)を話せる人が探せばすぐに見つかるほどたくさんいますが、特にお金持ちになれているわけではありません。
そのほとんどが労働者階級です。

別の側面から話すと、海外では学歴や資格は詐称している人が多く、実績を盛っている人がたくさんいます。
これは挨拶のようなもので、お互い様のようなところがあります。
日本人のように真面目に何年間もかかって学歴や資格を取る民族はあまり海外にはいません。
むしろ、詐称して仕事を取り、有能さをアピールし、その稼げたお金で資格を買うのがよくあるプロセスです。
資格詐称のまま大物政治家のコンサルやアドバイザーになっている人も海外ではけっこういます。
実力があれば問題視もされません。
ここら辺が日本と海外の大きな違いなんですが、日本にいると学歴ビジネスや資格ビジネス、技能習得ビジネスだらけで、それをあたりまえと洗脳されている人が多いので気付けないわけです。
宣伝や広告を聞き流すだけ、流し見するだけで、スクールビジネスにお金を払うのがあたりまえにされているわけです。

というわけで、カリキュラム学習と試験で手にはいることは、新参者が儲けられる確率はものすごく低いので、それより先に人に受け入れられる自分を作っていくほうがコスパは断然いいですし、豊かな暮らしを手に入れるためには効率的だと思います。

特に、個人や小規模でセールスや投資をする人は、お金につながる知識を持っている人たちと出会った時に気に入られるか遠ざけられるかで収入がぐんと変わりますので、言語や専門知識を学ぶより圧倒的に効率よく、
好ましい人生になっていくものです。

また、順番としては、外国語や資格をお金に換えるために活用したいのであれば、専門知識や資格を身に着けてからで、さらに、その前に気に入られる自分になること、となります。
多くの人はこのまっとうすぎるプロセスを逆行して苦労しているように見受けられます。

気に入られる自分でいることは、仕事をしている期間はずっとし続けることで、怠ればその分、ダイレクトに評価や収入を落としますので、早めに取り組み習慣にしたほうが楽チンですね。



喫茶柊/柊PROJECT(ひいらぎぷろじぇくと)
渡辺英輔
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(当然の前提)+書を捨てよ、町へ出よう

成功しない人や何事もうまくいっていないと思ってしまう人の多くは、取り組んでいることの本質を勘違いしていたり、ごく表面的なことを真似したりできていたりすることで自分をまず見誤っています。
自分は能力があるはずなのに、と身の程を知らずに意識が高かったり、現状のすべてに批判的、排他的で愚痴をたれていたりします。

総合アドバイザーとして様々な相談を聞く機会の多い私ですが、ほとんどの人が余計なことをやりすぎていて、本当に必要なことができていません。見えてもいません。

今回のタイトルは、寺山修司さんの本のタイトルです。

書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫) -
書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫) -

彼らしくはありますが、案外普通のことが書いてあります。
ゆえに簡単なことではないんでしょうが。

読書においてはなにが正解かは私には決められませんし、誰の答えにも完全な肯定をすることはできないでしょう。
私にとって本を読む、文章に触れる、ということは人と会う、人と会話することと同じ意味を持ちます。
はるかに昔にいた人や一生会うことのない人たちと出会える素敵な時間が読書です。

さて、この「書を捨てよ、町へ出よう」については、柊で毎週歌ってくれているアイドルの柊珠実ともお話しをしたことがあります。
まったく同じではないですが、とても似た感性でこの本をとらえていたのがおもしろかったですね。
なんせ、世代が2つくらい違う人と意見が合うのは楽しいものです。

そんな前置きをした上で、本題に入りたいと思います。


「書を捨てよ」という文字列に反感を抱く人は少なからずいるようで、中学生の時から今まで、読解力のなさにはあきれてきたものです。
さらに、タイトルだけでも読書家ならばこそ響くところがあるはずだし、そうでなくても日本語の妙のようなものに日常で触れていれば想像力は湧く、と思うのだけれど。

くどくどと語るのもなんなので、二例ほど。

一つ目の例は、「書を捨てよ、町へ出よう」というのはおかしい、という意見。
まっとうなほうのセミナー(講習会)に仕方なく登壇する羽目になった若い頃、私の前に分厚い身体の白髪パーマの方が、今も続くこの本への(タイトルへの)批判をし、もっと読書しろ、的な(陳腐な)話しをしておられました。

「けっこう大企業になってきている会社でなに言ってんの、このおっさん」と思って、その後、お読みになったか?と質問し、タイトルを誤読しておられないか?と詰問したことを覚えています。
大喧嘩になったことは忘れました。


もう一例は最近。
これは頭痛を起こしたくらいの出来事たちで、寺山修司をリスペクトして(?)白塗りの集団になっている人たちよりも本質から遠いと思ったものです。
「今の時代書は捨てずに持ち歩けるから、スマホやタブレットで持ったまま外へ出よう!」
みたいな、さすがの私でも「ゆとりか!」とつっこみたくなるような、いくつかの団体などの元のタイトルを踏まえたことは明らかなキャッチコビーを見たとき。
読んでいる人がその集団の中にひとりでもいれば、こんな恥ずかしい明確な間違った使い方はしないはずなんですが…
(読んでいてなおこうしたのなら目も当てられないですが)


私がこの本を発見したのは自分の家の本棚で、です。
確か小学6年生の時。
母は読書家で、「下丸子図書館で読みたい本は全部読んだ」とホントかウソか確認できないようなことを言っているくらいの人でした。
当時の家の本棚には、文学小説家の選集から池波正太郎、新田次郎などが並んでいて、推理モノ、時代劇、海外の小説もアガサクリスティやらモンテクリスト伯やらジャンルごちゃ混ぜで並んでいました。
そんな影響で、小6で夏目漱石を読んでいるくらいになっていた私がこの本に出会ったとき、
「これって、本を読んだら外に出て確認しよう、ってことかな」
とずいぶんと素直に思ったものです。

今では「知識や情報を得たら考える前に動こう。動いてからじゃないと考えは適当にもならない」といった感じになっています。

つまりは、物事の順序としての「知覚動考」が彼らしいタイトルになっているだけで、これはそこそこの読書家ならば普通にそう思える、と考えられます。
こういう意味か!と気づくのではなく、うまい表現をするな、という感想に、私の場合はなったわけです。

だけど、私なんかよりずっと権威のあるような人が「書を捨てよ」という言葉そのものにアレルギーを起こしたり、私なんかよりずっと若くて感性もあるはずの人が読解力を失い、昔のタイトルをファッションのように扱って大失敗しています。

とはいえ、解釈に正解はありません。
だって、これが正解、と思ったことが多いほどに人生はつまらなくなりますからね。

(読書、勉強ばかりでなく)
書を捨てよ、町へ出よう

この本と出会ったのは小学6年生。
読む前、タイトルを読んで、子供から大人の身体になり始めた私は、こんな前提をつけて「おもしろそう」と思ったものです。

今なら、
書を捨てよ、町へ出よう
(そうしたら、知識や情報はあなたの感じた素敵を増やすよ)

という優しいアドバイスも浮かびます。

なので、少しは大人になれたんだろうな、と思ってます。




喫茶柊/柊PROJECT(ひいらぎぷろじぇくと)
渡辺英輔
東京都大田区下丸子1-14-13
03-3759-5408
090-6023-9171
hiiragiproject@gmail.com

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エンタメ向けホームページ
夢をかなえるまでの時間を短縮します!
http://hiiragiproject.jimdo.com/
※渡辺英輔はビジネス向けのホームページを持っていません。ビジネス相談のお問い合わせはメールでお問い合わせの上、ご来店になってお話しください。



posted by マスター at 16:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 柊PROJECT | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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