2016年12月04日

宝くじが当たったら……

ラジオでこんな内容の作文を紹介していた。
書いたのはたぶん、小学生。

宝くじが当たったら、と、売り場の前を通ってつい考えてしまった。

ほしいものが簡単に買えてしまうとすぐ飽きてしまう。

なので3億円はいらない。
ほしいものは自分のお金で買えるようになりたいです。

かいつまむとこんな内容だ。

紹介者もコメンテーターもほめちぎっていて、どうにも私のおさまりが悪くなった。


まず、宝くじは買っていない人は、もしも当たったら、と考える権利がない、と私は考えている。

なぜなら、買った人たちが夢想する時間も含めてくじに参加するのはエンタメである。
そのためのチケット代とも言える。

次にお金=物欲、というのがいただけない。

いや、子供が書くことなので、その子の未熟さや不勉強さには噛みつかない。

問題なのは、これを「良い作文」として選んだ大人たちだ。ダメすぎる。
視野も思考も狭い上に、お金について不勉強だ。

少しでも見識があれば、この作文を選ぶことはないだろう。

うがって考えることもできる。
この作文を選ぶことそのものに作為があるのかもしれない、と。


こんな考え方もある、という例を私にするのは不適当かもしれないが、あえて書いてみよう。

私が突然、大金を手に入れたら。

第一に「捨てるため」に使う。
必要なモノを買うお金はあるが、なかなか環境を整えるために使う、特に不要になったモノを捨てることは難しい。
断捨離って話しではなく、物理的に使わないけど居座ってる大物家電やらなんやらのことだ。

捨てるものが決まっていても、重いし時間を食うし、動かすことで埃がたち喘息が起きるかもしれないし、とか考えると、降ってわいたようなお金で済ましたいところだ。

次に人に使う。
学ぶ、雇う、見込んでいる人に使う。
また、活動、事業などへの広報、広告などに使う。
それは商品などのモノに変わるかもしれないが、自分のモノを増やす使い方ではない。
というか、モノは降ってわいたようなお金ではたいして増えない気がする。
日常の使えるお金で知らぬまに積み重なるものだと感じる。
あくまで私の場合は、だけれど。

さて、ある程度使い途を決めたら、誰かと焼き肉、寿司、しゃぶしゃぶなどなどで散財する。

宴じゃ!食おうぞ!

つまるところ、環境、人に使い、時間を短縮するために使う。

あ。
あとは自分の健康のためにさまざま使うかな。
勉強のための講師、あるいは医師。
よい習慣を獲得するためのトレーナー、とかがいい。


……そう考えると、宝くじが当たってない今と使える金額以外、お金の使い途自体は変わんないじゃないか(笑)


お金には善悪も意思もない。
魔力もなければ人を狂わせるシステム自体でもない。

必死に労働して得たお金も宝くじで当たったお金もおなじお金だ。

お金はお金のまま。
お金で変わるとすれば人間だけだ。


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渡辺英輔(わたなべえいすけ)です。
大田区下丸子で柊(ひいらぎ)という喫茶店を経営しています。

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posted by マスター at 18:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 喫茶柊 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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