2018年07月24日

現代のゲンダイ

お久しぶりです。
災害レベルマックスな酷暑の中、よくこのブログに辿り着いてくださいました。
ありがとうございます!

昨夜寝る前にスマホのメモに252文字ほど書きなぐっていた文章があったので、こいつを久しぶりのブログ記事にしようと思います♪

肉付けしたら3倍くらいになったけどね。

ざっとしたメモと誰かに届けようとする文章は違うってことですね。

そんなことを踏まえながら、あくまで個人的な考えをつらつらと書いていきます。

私にとって、ストーリーなんて魅力ある絵や映像、文章や言葉があれば、あるていど破綻しててもいいんです。
逆にそれらが足りないとストーリーが気になるというかね。

破綻してないに越したことはないんだけど、予定調和がすぎて読めちゃうのもやだし、制作者側の誰かのひとりよがりで酔われてても困る。

ここでナラティブってのを持ち出す。
ナラティブって言葉は古い文芸作品を読んでいるとぶち当たる用語で、日本語訳では「物語り」。
ストーリーの日本語訳が「物語」なのでややこしいことこの上ない。

こういうややこしいカタカナ用語は極力使わずに伝えようと心得ているので、ガンダムの新作にナラティブってつくまですっかり忘れてた。
なのでこの点、詳しく文章にはできないけど、
「おまえ、若気のいたりすぎたころに神話書こうとしてたから通過してるワードだろ」
と私の中の「わたし」が言うので書く。

ナラティブを説明するのはWikipediaに任せるとして、強引にわかりやすくすると、ストーリーが「FINAL FANTASY」でナラティブが「ワンダと巨像」
(だいぶわかりにくくなってきました)

文芸としてのナラティブやゲームとしてのナラティブは人を選ぶけど哲学感覚や感情移入を強く刺激していい。
でも、映像作品、とりわけ有料コンテンツとなるとなんだかわからんものになる。

何回も観なきゃわからんとか、前もって設定や制作者の想い(?)を知らないといけないとか、そういうのは、個人的に面倒くさい。

※ここらへんの映像、言葉選び、設定、構造のバランス感覚はエヴァンゲリオンがうまい。
作品一本一本がうまいのではなく現象としてうまいと感じてる。
あんまり面倒くさくないから。

「わたし」だけの「物語り」をするなら文芸やゲームに向いていると思う。
設定や構造で惹き付けるのも同様かな。

映像作品なら単館系のほどよい予算の映画で。

SNSが盛り上がるからといって設定や構造、あるいは「わたし」の感情や感覚を追うばかりの作品が増えてる気がするのね。

それを作家性だとかもう売れてる監督の作品だからとかで許容している層から私は遠ざかるんだろうなぁ。

だって私にとってはつまらないんだもの。

物語りを言葉を使ってするのなら、歌の世界でははるか昔からあるし、現代なら文章やゲームでやるのが最適なのかもしれないなぁ。




posted by マスター at 10:31| Comment(0) | 喫茶柊 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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