2016年06月05日

刺さらないお話し

国政について私がブログに書いたところで読者に刺さるわけもないし、喫茶店での雑談のネタのひとつだろう、というスタンスでいる。

とはいえ、議員総数は1/3でも国は回る、とか、選挙応援をするのに小組織が新たに作るのは愚かしいぞ、なんて話しをリアルでしていると変な風に刺さることがある。
およそ各党の関係者や本人と話したことがある。
無所属の候補者とも話す機会があったりする。
いったいぜんたい、私についての口コミはどのようにどの範囲まで広がっているのか知れたものではないが、アクセスはある。とても迷惑だ。

現在は政治家や行政の人と話すことはあってもお仕事として関わることはしない。
まあ、いくつかの県で散見されるまったく成果をあげていないどころか的外れなことをしてかえって地域のブランドを地に貶めている行政に雇われてけっこう高い報酬を得ている超無能なコンサルタントたちよりはマシな仕事ができると自負しているが、面倒なのでやらない。喫茶店のマスターしてるほうがおもしろいし。

政治家(候補者含む)は、たとえ来店から1分しか時間がなくてもオーダーをするが、行政の人は出入り口前に突っ立って話しを始めて5分以上いるのにオーダーもしない、という喫茶柊では比較的普遍の事実がある。
で、政治家にはあまり領収書を切った記憶がなく、行政関係者には確実に切っている事実がある。
短時間でも相談費用を支払うこともあるのが前者で、絶対支払わないのが後者だったりする。
私の行政に対する不信感は母から受け継がれている分も追加されていて根強い。
窓口や現場で働いている人たちはずいぶんと関わりやすくなったが、それ以外は私が作り笑顔すらできないくらいなかなかどうして対人スキルが低い。
礼儀も挨拶も姿勢も見た目もよろしくない。
配慮も経緯もカケラもない人が多く、だから店の出入り口に営業中に突っ立てるのだ。
明らかな営業妨害であるが、それをしている自覚がない。
どうやらずいぶんと借りている虎の威が誰にでも通じると思っているらしい。

このぐらい書けば、喫茶柊のえいすけさんとこに行っても無駄だぜ、という口コミは広がるだろうか。広がってほしいな。

しかし、人前での政治家は個人個人、ずいぶんとまともなのに、なんで群れるとダメになるんだろう。
そんなわけで、私はよく、すべての議員の総数を1/3まで減らせ、と考えているのである。
いろいろと理由はあるが、ダメな議員の総数が激減するのは間違いがないからだ。
実現すればかなりお金も浮くと思うが、それは頭のいい人たちがこの国の根本的な問題のいくつかを解消するために使えるようにしてくれればいいな、と思っている。



posted by マスター at 14:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 柊PROJECT | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月04日

その外に実(じつ)はある

自分は賢い。こんなことに気付くなんて天才だ。
自分に流れが来た。
これはうまく行くから(お金になるから)やってみようぜ!

これが反転した時に、長く続けられること、お金になること、やっていて決して後悔のないことになる。

すなわち、自分より賢い人はたくさんいる。自分は天才じゃない。
なにかの変化があったから、この流れに乗るのなら今の自分のままでは無理だ。
自己判断への不安、不信…
自分の目に付いたこと、気付いたことなんて他の人もやっているかもしれない…
自分たちの速度ではすぐに追い抜かれるかもしれない…
たくさん湧く疑問、わからないことの多い自分…

どういう違いがあるのか?

自己完結、ひとりで何でもできる、理解できる仲間とやる、価値観の相違のない人たちが周囲にいる…

という状態から、視野が外に向けられ、自分よりも優れた者がいることを認め、判断に足りないところを補おうとし、水準の高い人、専門家、部外者にアドバイスを求められるようになる状態になる、ということ。

それでも腹をくくってやると決断したこと。
増長とは無縁でそんなことを気にせずやっていること。

作業的には似たことをしているものの、すぐ次の瞬間から違いが出てくる。

どんな違いか。

成功するかどうか、ではなく、経験、失敗、挫折すらも活かせる自分でいるかどうかにかかわる違い。

与えられるもの、教われること、買えるモノ、知れること、もらえるもの、覚えればいいこと…
アイテム、ハードウェア、ツール、ロジック、スキル…

その外に実(じつ)はある。

商品、売りものは作れる。
しかし、実につながるものは今いる視野の外にある。

すでにある物事、状況に気付かず、一からそろえようとする人たちが多い。
自分を主権者にしようとする人が多い。

それはずっとうまくいかないことに、とても近しい。
posted by マスター at 20:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 柊PROJECT | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

話さなくなったことに、相手は永遠に気付かない

大事な話しをしている、と自認しているとき、私はそうした前置きをする。
それでもなお、中途で反論、他の話し、論旨の違う見当違いな持論のようなもので言葉を遮られると、私はそのことについて永遠にその人に話さない。
雑談であれば別だろうか、と考えてみたが、どうやら雑談でも私にはその傾向がある。
気の置けない人たちとのクロストークのようなものは嫌いではなく、むしろ自分が発言するスキがなくてもおもしろがる傾向があるが、そういう類のこととは違う。
まあ、簡単に乱暴にくくれば、真面目な話しをしているときのことである。

悲しいとか怒るとかという感情がわくでもなく、単に必要がないのだろうから、と話さなくなるだけだ。
いや、あるいは悲嘆をしていたり憤慨しているのかもしれないが、尋常じゃない速度で、悲嘆や憤慨の心理的過程をあまねく通過してしまっているのかもしれない。

私は足りていない、と感じれば、何度でも同じことをなるべく違う言葉や例でもって話す。
とはいえ、真摯、とまでいかないまでも、とりあえずお話しを聞いているようなら何度でも話すが、飽きていたり拒絶していたりすれば二度とそのことについて話さない。

こうした二度と話さなくなったことについて、話してください、といったお願いをされることはない。
私が話さなくなったことに、相手は永遠に気付かないからだ。

明らかにそれをしてはダメだろう、とわかっていることをしようとしている、あるいはしているとき、それを止めようとか、改心させようとかを私はしない。もちろん、犯罪であれば別だが。
お仕事でアドバイスやサポートを頼まれていれば、その費用、期間に応じて強制的にでも止める。
こういうときの私は苛烈だ。おそらく恐ろしい。鬼の様である。
そういったほとんど見せない姿を知っている人はこのブログの読者には数人いるとは思う。

永続しない優しさは悪である。
ゆえに、単発のすれ違い案件で、人は他者への優しさを示しやすく、比較的長期と思われる状況の中にいると見て見ぬフリをしてしまいがちなのかもしれない。

その時々の気まぐれな感情や相手への好悪の印象でそれをしたりしなかったり、はじめはしていたのに自分のことで忙しくなってできなくなったり、というのは少なくとも私の中では善ではない。
なので、私は善人ではない。
私はお仕事以外での対応は気まぐれだからだ。シェフの気まぐれサラダ以上に盛り付けが違うほど気まぐれだ。

私は必要とされていなければ、重要なことや気づいているポイントについて話すことはない。
話したところで変わらないからだ。
迷惑がられるのを知っているからだ。
関係性のみ悪化することを知っているからだ。

それでも大事なお話しをするほど、私は善人ではない。

こういう対応をしているのは、きっと私だけの話しではないと思う。







posted by マスター at 20:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 柊PROJECT | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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